1996.10.16sat〜11.23tue

朽木氏は、宇多源氏佐々木氏の流れをくみ、四目結の紋所を用いています。

福知山藩主 朽木十三代

 朽木氏は、1669年(寛文9)に土浦藩(茨城県)から福知山藩へ国替えになり、明治維新(1868年)まで199年間、福知山藩の藩主でした。

1 稙昌┬── 2 稙元 ── 3 稙綱

   ├── 4 稙治

   ├── 女 ── 5 玄綱 ── 7 鋪綱 ── 9 倫綱 ── 11 綱條

   └── 廸綱 ── 6 綱貞 ── 8 昌綱 ── 10綱方 ── 12 綱張 ── 13 為綱


 福知山朽木8代藩主「昌綱」は、蘭癖大名」とまで呼ばれるほど蘭学を修めていたことで有名な藩主です。
 田沼時代にあたり、自由な世相から蘭学など新しい学問が大いに発達した時代でした。

こいつはいったいなんだ?

動物図譜(写本) 1663年(寛文3)オランダから4代将軍家綱にヨンストンの「動物図譜」が献上されました。半世紀の後、好奇心旺盛な8代将軍吉宗はこの本に興味を示し、海外から技術や情報を積極的に輸入しました。1728年(享保13)には中国を通じてベトナムからを輸入し、翌年江戸の町にお目見えして大評判になったようです。外国馬(アラブ)を輸入し、馬の品種改良にも取り組みました。この本からは、当時の知識人達の好奇心が伝わってきます。
 昌綱は前野良沢(中津藩医師)に師事し、杉田玄白(小浜藩医師)、桂川甫周(幕府医師)などそうそうたる蘭学者と親交があり、「蘭学階梯」を後に著す大槻玄沢には長崎留学の援助を行い、蘭学階梯の出版費用の援助とともに序文も寄せています。自らも、銭貨を収集分類し「新撰銭譜」西洋銭譜などを著しています。

蘭学階梯 1788年(天明8)

 大槻玄沢の著した、蘭学・オランダ語の入門書。

 

 

 オランダ商館長イサーク・ティチィングとの交流によってオランダ語を学び、当時オランダ語の第一人者として知られていました。イサーク・ティチィングが帰国した後にも、海を越えて手紙のやりとりをし、語学と新しい知識の吸収に努めています。

 また地理学も学び、ヨーロッパの地理や都市を紹介し、江戸時代最高の地理学書といわれる「泰西與地図説」を著し、広い先進的な視野をもっていたことがうかがわれます。

福知山初代

伊予守 稙昌(たねまさ)(1643〜1714)

1669年(寛文9)に茨城県土浦藩から福知山藩に移封され、27歳〜67歳の39年間福知山の藩主でした。

二代

民部少輔 稙元(たねもと)(1664〜1721)

幕府奏者番として、8第将軍吉宗の御朱印状の発給を担当するなど、別格の活躍をしています。

三代

伊予守 稙綱(たねつな)(1710〜1726)享保6年(1721)12歳で藩主となりましたが、病弱で17歳で病死してしまいました。

四代

土佐守 稙治(たねはる)(1665〜1741)

五代

土佐守 玄綱(とうつな)(1709〜1770・美濃岩村藩 松平家より養子)

20歳で藩主となり、42年の長期間藩主でした。8代将軍吉宗の治世にあたり、享保の改革が押し進められた時期に当たります。

六代

出羽守 綱貞(つなさだ)(1713〜1788)

七代

伊予守 鋪綱(のぶつな)(1730〜1789)

八代

近江守 昌綱(まさつな)(1750〜1802)

九代

土佐守 倫綱(ともつな)(1767〜1802)

十代

土佐守 綱方(つなかた)(1786〜1838)

十一代

隠岐守 綱條(つなえだ)(1801〜1836)

十二代

近江守 綱張(つなはる)(1816〜1867・近江膳所藩本多家より養子)

十三代

近江守 為綱(もりつな)(1845〜1883)

1867年(慶応3)23歳で藩主となりましたが、翌年明治維新を迎えました。1869年(明治2)には福知山藩知事となり2年間努め、版籍奉還、廃藩置県など藩政度からの大変革を大きな混乱もなく乗り切りましたました。

軍事演習の様子 1893年(明治26)

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