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21 おしゃべりな須恵器
こんちは!
私「すえき」ちゅうもんです。
今日は、おまえ何か自分のことしゃべれちゅうもんやから、ええ歳してちょっと照れるけど自己紹介さしてもらいますわ。ま、よろしゅうたのんます。
さっきも言うた通り、私は漢字で書くと「須恵器」と書くんです。まぁ、読み方によっては「すえのうつわ」なんちゅう、ちょっとかっこええ呼び方もあるんですけどな。それとその使い道から高杯(たかつき)ちゅうミドルネームももろとります。ようするに土からできた「器(うつわ)」みたいなもんで、今、皆さんが使こぅてる茶碗(わん)や皿の遠い祖先に当たりますねん。
ただ、高杯ちゅうもんは、今ではあんまり残っとらんで、名残をとどめているのは、せいぜい優勝カップぐらいかなぁ。寂しい限りですわ。
私が見つかったは福知山市榎原のカヤガ谷古墳群ちゅう、お墓の発掘調査でしてな。
久々に見た太陽のそら眩(まぶ)しかったこと、なんせ1500年ぶりですからなぁ。そんときの姿は、そらひどいもんで脚や縁は割れてどっか行ってしもて皿の半分はどでしたんや。それを、器用なもんで石膏(こう)で無いとこを作り、きれいに色まで塗ってくれて、まぁちょっと昔の形とは違うところもあって気にはなるんやけど‥…・うれしいもんです。
え? おまえどっから釆たんやって。よう聞いてくれました。実は私、今の大阪府堺市に当たる陶邑(すえむら)ちゅう、日本で最古・最大の須恵器生産コンビナート生まれですねん。そう、都会子なんやで、そこいらの田舎須恵器と一緒にはせんといてや。せやのにこんな遠く離れたれた丹波の奥のもうひとつ奥に行くとは思いもせんかったわ、ほんまに。
話は変わるんですけど、私ら須恵器の永遠のライバルに土師器(はじき)ちゅうやつらがおりますねん。こいっら自分らが縄文土器に始まる日本代々の「器」の代表やゆうていばりくさるんですわ。
確かに私ら古填時代の中ごろに朝鮮半島から伝わった技術で作られた、まぁゆうたらハーフみたいなもんやし、歴史の古さでゆうたら土師器に負けます。ただ、ここで皆さんによぉ−覚えとってほしいんは、私ら登窯で高い温度で焼かれて作られたから、すっごう硬とぉて丈夫なんですわ。やつらなんて、すぐに割れるわ水に溶けるわで、そらひどいもんでっせ。せやから、私らの仲間うちでは土師器なんて勝負にならんちゅうとります。
え? ことばが過ぎるって。もうしゃべんなって、そんな殺生な!
しゃあないなぁ。あ、ほんなら最後に私と一緒にカヤガ谷古墳で見つかった須恵器仲間を紹介しときます。この写真の前列右側に居るの私です。かっこよろしやろ。後ろにおるんが私の!姉貴分にあたる「饗(かめ)」さんです。頚(くび)んところに、きれいな波形の紋様が入って、そら麗(うるわ)しい姿でっせ。それと左に居るんが弟分の「杯(つき)と蓋(ふた)」です。あんまり取り柄が無いけど堅実で、真面目なやつらです。
ほな、またお目にかかれるのを楽しみにしてますわ。おおきに、さいなら。(八)
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