9 木と石の棺
あまり明るい話題とは申せませんが、今回は古墳時代の死者を包む「ひつぎ」を訪ね歩いてみましょう。
「棺」・「枢」と書いて「ひつぎ」と読みます。棺は、「墓に遺体を納める箱」、枢は「遺体を納める箱」てす。「なんだ、同じじゃないか」とおっしやられるてしょうが、考古学者はその微妙な違いにこだわります。
墓のある現地で組み立てるのが「棺」、現代のように霊枢車に乗せて持ち運べるのが「枢」と言えるでしょう。
さて、古墳時代の「ひつぎ」は、ほとんどか「棺」にあたり、たいていは木(木棺=もっかん)と石(石棺=せっかん)で出来ています。福知山市カヤガ谷古墳群では9基の古墳が発掘調査されまレた。そのすべての埋葬施設に木棺か用いられていました。棺そのものや遺体は、長い歴史の間に腐朽して土と入れ替わっていましたが、土の色・質を見極めることで棺の輪郭や構造を復元することができます。
後に聞いた話ですが、この調査に参加した方が調査の担当者のいうがままに「棺の内部」とするところを、「ほんまかいな?。骨でもでるかいな」と半心半疑で掘っていると、ほぼ間違いなく剣や刀がそれに平行して出土し、いたく感激したといわれています。
これは良かった例で、発掘調査は常に土の色・質との戦いに明け暮れます。
カヤガ谷古墳群
3号墳の木棺の痕跡
一方、同じく福知山市にある薬王寺古墳群は5基からなり、うち2基は石棺、ほかは木棺が用いられていました。石棺といってもせいぜい6〜10枚の板石を使ったささやかなもので、基本的な構造は木棺と同じ、違いは材質だけといえます。
一般的に石棺は、弥生時代から続く原始的な葬法とも見られがちです。しかし、ここ丹波地方においては特に弥生時代に石棺が多いとはいえず、むしろ石棺の多い古墳時代の丹後などとの地域的なつながりを考えた方がいいかも知れません。
案外、「私は石のほうが好きだ!」「あんな棺のほうがいい!」といった個人的な好みだったりするのかも知れませんね。(八)
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