【雑感】
ワールド・カップ韓国・日本大会が終わった。もう30年近くサッカーを見てきたが、やはり当然の如く自分としても盛り上がった。中山の背番号のユニフォームも買った。ボールも買った。会場には行けなかったが、うちで着て応援した。まあ、細かい感想は色々あるが、十分に楽しませて貰った。そして、将来の日本代表になる子供達にも鮮烈な印象を植え付けてくれた事だろう。しかし、日本選手の評価が上がると、海外からのオファーも増える。と、Jリーグでめぼしい選手が見られなくなり、人気が下降するのではないかと言う事だけが心配だ。
そんなサッカー観戦三昧の毎日で、始まる前は「早くワールド・カップなんか、終わればいいのに」と言っていたカミさんまでが、稲本のユニフォームを着て応援するようになるとは思ってもみなかった。あまり関係はないかもしれないが、先日、「夫婦は向き合って過ごしてはいけない。同じ方向を向いて進むとうまくいく」と言う言葉を聞いた。また「生活の中で、お互いに隙<スキ>も見せた方が良い」と言う事も書いてあったなぁ。うーん、なるほどな。まだまだ未熟かな。
衛星TVで井上陽水のライブツアーを見た。日本人では一番好きなアーティストだ。その自然流の生き方は、私の目指す所でもある。そして彼の歌詞は、その内容をイマジネェーション豊かな映像として与えてくれる。小説家で言えば村上春樹の世界と相通じるものがあるように感じる事が多い。社会風刺の効いたものや、あり得ないけどもどこかありそうな感じもするシュールな映像美のもの、昔の曲では心の痛みのような内容もあるが、概して日本語の美しさを伝えてくれる数少ない貴重なアーティストのように思える。第一次(?)陽水ブームのあと、少し低迷したりしながらも、また力強く復活する変遷の中で、自然流になれたのか?あるいは、ねっからそういう人なのか?そのあたりを知るヒントになる歌詞がある。最新のカバーアルバム「UNITED COVER」の最後の曲、「手引きのようなもの」がそれだ。
道なりに道なりに、その道を造った人なりの。逆らってはいけない、合わさってもならない。体を左右に軽く揺らすとよい。山なりに山なりに、丸く高く弧を描くように。高ぶってはいけない、冷めきってもならない。どうか届けとつぶやき投げるとよい。・・・(あとはCDを買って下さい)現在の彼が到達した境地のようなものが感じられませんか?
大阪南港に「シルク・ド・ソレイユ」の「サルティンバンコ」を見に行った。その前に近くのハイアット・リージェンシー・ホテルの最上階の中華料理店「天空」で昼食をとった。我々夫婦と頸椎損傷で車椅子となった親友の3名で食べた。窓際の席に案内されると、ボーイさんが一つのイスをどけて車椅子のままテーブルに入れるようにしてくれた。簡単な事だが、椅子に乗り移る面倒もなくなるし、第一、車椅子の方が安定感がある。そしてまずは、乾いた喉を冷たいビールでいやしたい所だ。ビールが運ばれグラスにつごうとしていたら、とっての付いたグラスを一つ持ってきてくれて、彼の利き手の方に置いてくれた。これも、彼のどちら側が麻痺しているのか、利き手はどちらかを注意して観察していないと、すぐにこういう対応はできないもんなので、チョット感心した。そして、食事に入ると、さりげなくフォークを持ってきて「良かったら使って下さい」と置いて行った。利き手とは言っても、お箸を使うのが難しそうだとわかったのか、すかさずフォークを持って来るとは「凄いなー」、と三人で感心していた。
こういう対応は、今時一流ホテルでは教育しているのかもしれないが、たぶんそのボーイさんの身内に、そういう人がいるのではないかと想像した。一緒に生活したりして、どういうスタイルが快適かと言う事を実感していないと、なかなかすぐに動けるものではない。それにひきかえ、車椅子マークのついた専用施設が増えてはいるが、実際に使用にたえる物は少ない。たぶん、車椅子に試しに乗った事もない人達が、机上で考え、予算をつけ、とりあえず作ってやったぞー、と言う程度のしろものばかりなのだ。なにも特別仕様にしなくてもよい。普通にいつでも利用可能な状態にしておいてほしいものだ。
先日、日曜日の朝、奉仕団体のクリーン・キャンペーンに参加し、幹線道路周辺のゴミ拾いをした。毎年の事ながらなんとゴミの多いことか。タバコのフィルターだけが風化されずに道路の隅に集中して残っている。空き缶、ペットボトル、おしめ、弁当箱、カーステレオなどなど色んなゴミが集まった。こういうヤカラは自分の車は土禁(土足禁止)にして、綺麗、綺麗に(だふん自分で思ってるだけで、ほんとは汚いのかも)しているのだろうか。また、自分の部屋にはゴミはないんだろう??全く、どうすれば改善などできるのだろうか。車からゴミを捨てた人は、免許停止とか取り消しとかってどうかな?現行犯をみつけるのが大変だな。密告制度もやりすぎだしな。まあ、そういうヤカラにはどこかで天罰が下ると思うしかないか。
あと、日本人はどうして暗くなってもヘッドライトをつけないんだろうか。かっこわるいと思っているのか。つけなくても自分は見えるからと考えているからなのか。自分の存在を知らせるために、安全のためにつけると言うことすら知らないとは、「自動車教習所」の教育内容も考えないといけないのでは。ヨーロッパをはじめ諸外国では、夜でなくても曇りでちょっと暗かったり、雨の日などは朝でも昼でもつけているのにね。何とかならんのかニッポン!!
母の死(H13.1.17)にあたっては色々と考える事が多かった。まず病名を本人に知らせるべきか否か。我々は知らせてやって、あとの人生をどう生きるか考えるチャンスをやった方が良いとおもっていたが、結局知らせずに逝ってしまった。最後は気づいていたような気もするが、今となっては知る由もない。気づいていないフリをしていたとも思えないし・・・。
あと、癌の末期は悲惨な病状になりがちだが、かねてから延命処置はしてほしくないとの希望を母は持っていた。最終的な延命処置は一切しなかったとは言うものの、結果的にはそれ以前の処置も延命処置と言えなくもなかった。最後を看取ってやれなかったが、兄らによると最後は笑顔だったのはせめてもの慰めにはなったが、もっと早く楽にしてやりたかった。そういう意味では尊厳死を考えてしまった。しかし、その為には本人に病名を告知しなければならない。それに本人が耐えられるかどうかの判断は本当に難しい。生前に良く本人の意思を確かめておく必要性を強く感じた。
父も疲れやその他で、母の死の直前から入院している。思えば父には人生の厳しさをその背中から学んだ。まだまだ元気になってこれからも学び続けられるようになってほしいものだ。母には人生の楽しみ方を学んだ。チョットした事でも感動をあらわにする姿勢は、いいお手本にしたい。中秋の名月が近づけば、スダレやボンボリを用意して友人を招き、縁側で風流に鑑賞したり、「今日の月はきれいだよ」と電話して我々に知らせてくれた事もあった。季節の美味しいものがあれば、でかけて食べに行く。興味のある本のCD朗読付きの全集が出れば、買って家事をしながら聞いて学ぶ。洗い物をしながら映画音楽を口ずさむ。いろんな美術館展、博物館展も自分が運転してつれていってくれた(スピード違反でつかまった事も)。
兄、姉と年が離れている私は、彼らが東京の大学に行ってしまったあと、スキーに連れていってもらえなくなった。その後は母が私一人を車に乗せて連れていってくれた。海水浴にもよく行った。枝豆が美味しかった。ほんとに車が好きで、亡くなる直前の1/15の誕生日に免許が切れるのを最後まで気にしていた。免許証の写真が気に入らなかったらしく、その写真の上に自分のお気に入りの写真をのせてケースに入れてあった(そういうチャメッケがある人だった)。とてもいい写真だったので、葬儀の祭壇に飾る写真に引き延ばして使った。父も喜んでくれた。あと、このケースには子供3名(兄、姉、私)のそれぞれの小学校入学時に写真館で写した写真が1枚づつ入れてあった。それを見た時は涙が止まらなかった。いつも、子供を信じてくれる優しい母だった。子供は何があっても親に信じられていると、深い愛を感じられるような気がする。
そんな母の笑顔をもう目にする事はできなくなってしまったが、教えてもらった人生の楽しみ方は私の大きな財産になるだろう。そんな母に感謝して、これからの人生を楽しんでいければと思う。合掌。
ある本で面白い話があったので、そのまま引用させて頂く。・・・南太平洋の楽園といわれる島にレジャーで訪れたあるドイツ人実業家がいた。ふと見ると砂浜に横たわって、海を眺めている現地人がいる。ドイツ的勤勉さから、彼はその男に声をかけた。「君、遊んでないで一生懸命働きなさい」その男は答える「何のために働くのですか?」実業家は言う。「せっせと働いてお金を儲け、家族を養い、この私のようにレジャーに出かけ、人生を楽しむのだ」男は「どうやって楽しむのですか?」と聞く。実業家は得意そうに答える。「この楽園のような島に旅し、泳いだり、食べたりして楽しく過ごすのだ」すると、不思議そうに男はつぶやいた。「それでは今の私の生活のようなものですね」この話は文明国の市民に痛烈な皮肉を与えるとともに、熱帯の楽園が工業化社会の鏡である事を暗示している。・・・以上、引用。(思わず、ウーン!とうなってしまうが、よく考えるとここには、人生で自分の生き方が人の役に立っているか、と言う様な視点が抜けている気がしますが、どうでしょうか?)
サマセット・モームやヘミングウェイはこういう事に気がついて彷徨い、旅を続けていてのかもしれない。我々凡人は、なかなか日常のしがらみを断ち切る事ができずに働き続け、ささやかな休暇を楽しむ。そんな一生を過ごすのだろうか。いや、いつかは、いや、近い将来にセミ・リタイアするべく夢を捨てずに進んでみたい。
なんだかおかしくないか。ちょっと過敏症ではないか。清潔好き、潔癖性が行き過ぎて、なんでも抗菌グッズ。そして今の色々な食べ物に対する異物混入への抗議の数々。なかには、製造過程であってはならないミスや、ずさんな管理体制によるものもあるが、多少の虫などはふせげない、あるいはふせごうとすれば莫大なコストがかかる事も考えなければならないのではないか。野菜に虫が入っているのは、ある意味では当たり前なのになぁ。メーカーも売れ行きに影響が出る前に手を打とうとしてビビリ過ぎでかわいそうな位。全部回収する必要のないものは毅然たる態度を示しても良いと思うのだが・・・。
牛乳は低温殺菌のものを以前から買っている。だって、その方が自然だし、第一美味しいからだ。欧米ではたいてい低温殺菌なのではないかな。日本では安くないと売れないので探すのが大変だ。安ければいいという消費者の姿勢が、企業に薄利多売、経費節減、管理コストの低下などなど品質の低下へと導いている場合も多いのではないか・・・。