【雑感】        

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政治家ってなんだろう?選挙ってなんだろう?本来なら、政治家は自分の国を良くしていく。国民の満足を得られるようにしていくのが仕事だろう。一方、選挙はどういう形にしろ、その人が自分の代弁者となってくれそう。自分の理想の生活環境などが得られるようにしてくれそう、と言う選択肢で選ぶのが普通であろう。そうなると、それは小さな事では(大きな事とも言えるが)、ここに道があれば便利だな、ここに橋がかかればいいな、郵便局が便利に使えたらいいな、医療費は安いにこした事はないな、などなど限りなく自分の利益を追求してことになる。それで当選した政治家は、その公約を果たし、期待に応えなくては、次の選挙に当選できない。そのためには何でもする。こういうサイクルでは、結局、国のためと言う大きな目標はかすんでしまって、政治家も国民も自分の利益になる事しか頭になくなる。それが、あらゆる悪を生み出す。そして小悪は一旦は成敗されるが、根底の大悪ははびこったまま。これを解消する手だてはあるのだろうか。私の職域でも醜いまでの自分だけの利益追求、既得権の保守だけが声高に叫ばれているような気がする。みなが国を良くすると言う原点の想いに戻れる方法はないのだろうか?

ワールド・カップ韓国・日本大会が終わった。もう30年近くサッカーを見てきたが、やはり当然の如く自分としても盛り上がった。中山の背番号のユニフォームも買った。ボールも買った。会場には行けなかったが、うちで着て応援した。まあ、細かい感想は色々あるが、十分に楽しませて貰った。そして、将来の日本代表になる子供達にも鮮烈な印象を植え付けてくれた事だろう。しかし、日本選手の評価が上がると、海外からのオファーも増える。と、Jリーグでめぼしい選手が見られなくなり、人気が下降するのではないかと言う事だけが心配だ。

そんなサッカー観戦三昧の毎日で、始まる前は「早くワールド・カップなんか、終わればいいのに」と言っていたカミさんまでが、稲本のユニフォームを着て応援するようになるとは思ってもみなかった。あまり関係はないかもしれないが、先日、「夫婦は向き合って過ごしてはいけない。同じ方向を向いて進むとうまくいく」と言う言葉を聞いた。また「生活の中で、お互いに隙<スキ>も見せた方が良い」と言う事も書いてあったなぁ。うーん、なるほどな。まだまだ未熟かな。

「BOOKS」にも書いたが「豊かさとは何か」と言う本を読んだ。そして下で書いた笑顔で働くヨーロッパの人達の謎が少し溶けたような気がする。まず、住む家に満足し、周囲の環境も整っている。老後の心配もそれほどない。大金を蓄えていなくても、人間らしい最後を送れる保証があるからだ。労働時間も日本とくらべて驚くほど短く、あまった時間は自分の生活の幅を広げるために使える。そんな生活の基本的な基盤がしっかりとしているからこそ、自分のライフスタイルに心から満足し、他人にも優しくできるものなのだろう。振り返って日本はどうか。全てが逆行しているのではないか。どこでこの歯車は狂ってしまったのだろうか。「豊かさ」は物を手に入れ、消費しまくる事と誰もが思い続けてきたからか。なかなかこの一旦手にした「勘違いの豊かさ」の呪縛から逃れる事は難しい。ようやく近頃少しわかって来たようにも思うが、まだまだだ。
仕事が楽しい人は羨ましい。趣味や好きな事が直接仕事に繋がるのは理想だろうが、そんな人は多くはない。まず、生活を維持するために収入を得なければならない。しかし、あくどいやり方でお金さえ手に入れば良いとは思えない。世の中の役に立って収入を得る、そして自分が納得する仕事ができる瞬間は楽しい。それは納得ができる事が楽しいのであって、仕事が楽しいのとは少し違う。楽しくする為には研鑽を続けなければならない。時代の流れも読まなければならない。しかし、それにもお金がかかるのだ。緊張の毎日では息がつまる。休息が必要だ。週末の休息は肉体的な休息が主になる。やはり精神的な休息は、電話もなくしがらみの無い世界に入るのが一番だ。てっとり早いのは海外に行くことだ。心が解放される。体から不純物が抜け出ていく瞬間がある。そして、ふと気がつくときがある。朝早くから夜遅くまで走り回るホテル・スタッフ達。この正月のスキー場では明け方から清掃車でゴミを集める人、除雪車で走る人、夜中に圧雪車でゲレンデを整備してくれる人。みんなの笑顔がいいのだ。自分は笑顔で仕事をできていない。欧米の人達には長いバカンスがあるが、その為には日頃は一生懸命働いているのだろう。あの笑顔は仕事を楽しんでいるからなのか?プロとしての笑顔なのか?休暇の中でも、そんな事を考えてしまう瞬間が多くなってきたように感じる。それが自分も頑張ろうと言う活力源にもなるのだが・・・。

衛星TVで井上陽水のライブツアーを見た。日本人では一番好きなアーティストだ。その自然流の生き方は、私の目指す所でもある。そして彼の歌詞は、その内容をイマジネェーション豊かな映像として与えてくれる。小説家で言えば村上春樹の世界と相通じるものがあるように感じる事が多い。社会風刺の効いたものや、あり得ないけどもどこかありそうな感じもするシュールな映像美のもの、昔の曲では心の痛みのような内容もあるが、概して日本語の美しさを伝えてくれる数少ない貴重なアーティストのように思える。第一次(?)陽水ブームのあと、少し低迷したりしながらも、また力強く復活する変遷の中で、自然流になれたのか?あるいは、ねっからそういう人なのか?そのあたりを知るヒントになる歌詞がある。最新のカバーアルバム「UNITED COVER」の最後の曲、「手引きのようなもの」がそれだ。

道なりに道なりに、その道を造った人なりの。逆らってはいけない、合わさってもならない。体を左右に軽く揺らすとよい。山なりに山なりに、丸く高く弧を描くように。高ぶってはいけない、冷めきってもならない。どうか届けとつぶやき投げるとよい。・・・(あとはCDを買って下さい)現在の彼が到達した境地のようなものが感じられませんか?

「人生はカ・キ・ク・ケ・コ」という華道家の言葉が出ていましたので紹介しておきます。カ:感謝と感動。やはり何事にも感謝の気持ちを忘れない(亡くなった母もよく言ってました)。そして感動するピュアーな心を失わない。感動のない人生ほど、味気ないものは無いですからね。キ:緊張。適度な緊張感のある毎日がいいのかも知れませんね。退屈な毎日、惰性の毎日はつまらないですもの。ク:くつろぎ。緊張があれば緩和もしないと、人生長いですからね。そのために、ちょっとワインなどが私は好きです。いい風景を見たり小道を歩いたり野原で寝転がったり、素敵な音楽を聴いたり、楽しい映画を観たり、くつろいでばっかりだったりしてー。ケ:決断力。やはり人生の岐路では、これが最も重要かもしれませんね。せっかくのチャンスを失う事にもなりかねませんし。コ:好奇心。好奇心のかたまりのような両親に育てられた私は、やはり好奇心が旺盛になったようです。未知の世界を知るって楽しいじゃないですか。そういう事で、コンパクトに凝集されたカキクケコ。なかなかいい言葉だなと感じ入りました。
いつも雨の日や、曇りの日に車を走らせていると、思う事がある。「どうしてこんなに暗くて、前の車や後ろの車が見えにくいのに、ライトをつけないのか?」これは、たぶん自分が前を見えるようにする為にだけ、車のヘッドライトはあるものと思っている人が多いからだろう。トンネルなどで、後続車がライトをつけていない為に、接近してきて初めてその存在に気づく事があると思うが、そういう風にライトは「自分の存在を相手に知らせる」のが、主たる目的である事をもっと教習所などで徹底的に教えるべきだ。海外では、少しでも暗いと昼間でもライトつけて走るのは当たり前だ。それに、スモール・ライトだけつけるなどと言う中途半端な事をするのは、おそらく日本だけだろう。そのくせ、割り込みには緊急灯をチカチカさせるなどの変なマナーだけは、流行してしまう。変だよ、日本人は。

大阪南港に「シルク・ド・ソレイユ」の「サルティンバンコ」を見に行った。その前に近くのハイアット・リージェンシー・ホテルの最上階の中華料理店「天空」で昼食をとった。我々夫婦と頸椎損傷で車椅子となった親友の3名で食べた。窓際の席に案内されると、ボーイさんが一つのイスをどけて車椅子のままテーブルに入れるようにしてくれた。簡単な事だが、椅子に乗り移る面倒もなくなるし、第一、車椅子の方が安定感がある。そしてまずは、乾いた喉を冷たいビールでいやしたい所だ。ビールが運ばれグラスにつごうとしていたら、とっての付いたグラスを一つ持ってきてくれて、彼の利き手の方に置いてくれた。これも、彼のどちら側が麻痺しているのか、利き手はどちらかを注意して観察していないと、すぐにこういう対応はできないもんなので、チョット感心した。そして、食事に入ると、さりげなくフォークを持ってきて「良かったら使って下さい」と置いて行った。利き手とは言っても、お箸を使うのが難しそうだとわかったのか、すかさずフォークを持って来るとは「凄いなー」、と三人で感心していた。

こういう対応は、今時一流ホテルでは教育しているのかもしれないが、たぶんそのボーイさんの身内に、そういう人がいるのではないかと想像した。一緒に生活したりして、どういうスタイルが快適かと言う事を実感していないと、なかなかすぐに動けるものではない。それにひきかえ、車椅子マークのついた専用施設が増えてはいるが、実際に使用にたえる物は少ない。たぶん、車椅子に試しに乗った事もない人達が、机上で考え、予算をつけ、とりあえず作ってやったぞー、と言う程度のしろものばかりなのだ。なにも特別仕様にしなくてもよい。普通にいつでも利用可能な状態にしておいてほしいものだ。

先日、日曜日の朝、奉仕団体のクリーン・キャンペーンに参加し、幹線道路周辺のゴミ拾いをした。毎年の事ながらなんとゴミの多いことか。タバコのフィルターだけが風化されずに道路の隅に集中して残っている。空き缶、ペットボトル、おしめ、弁当箱、カーステレオなどなど色んなゴミが集まった。こういうヤカラは自分の車は土禁(土足禁止)にして、綺麗、綺麗に(だふん自分で思ってるだけで、ほんとは汚いのかも)しているのだろうか。また、自分の部屋にはゴミはないんだろう??全く、どうすれば改善などできるのだろうか。車からゴミを捨てた人は、免許停止とか取り消しとかってどうかな?現行犯をみつけるのが大変だな。密告制度もやりすぎだしな。まあ、そういうヤカラにはどこかで天罰が下ると思うしかないか。

あと、日本人はどうして暗くなってもヘッドライトをつけないんだろうか。かっこわるいと思っているのか。つけなくても自分は見えるからと考えているからなのか。自分の存在を知らせるために、安全のためにつけると言うことすら知らないとは、「自動車教習所」の教育内容も考えないといけないのでは。ヨーロッパをはじめ諸外国では、夜でなくても曇りでちょっと暗かったり、雨の日などは朝でも昼でもつけているのにね。何とかならんのかニッポン!!

母の死(H13.1.17)にあたっては色々と考える事が多かった。まず病名を本人に知らせるべきか否か。我々は知らせてやって、あとの人生をどう生きるか考えるチャンスをやった方が良いとおもっていたが、結局知らせずに逝ってしまった。最後は気づいていたような気もするが、今となっては知る由もない。気づいていないフリをしていたとも思えないし・・・。

あと、癌の末期は悲惨な病状になりがちだが、かねてから延命処置はしてほしくないとの希望を母は持っていた。最終的な延命処置は一切しなかったとは言うものの、結果的にはそれ以前の処置も延命処置と言えなくもなかった。最後を看取ってやれなかったが、兄らによると最後は笑顔だったのはせめてもの慰めにはなったが、もっと早く楽にしてやりたかった。そういう意味では尊厳死を考えてしまった。しかし、その為には本人に病名を告知しなければならない。それに本人が耐えられるかどうかの判断は本当に難しい。生前に良く本人の意思を確かめておく必要性を強く感じた。

父も疲れやその他で、母の死の直前から入院している。思えば父には人生の厳しさをその背中から学んだ。まだまだ元気になってこれからも学び続けられるようになってほしいものだ。母には人生の楽しみ方を学んだ。チョットした事でも感動をあらわにする姿勢は、いいお手本にしたい。中秋の名月が近づけば、スダレやボンボリを用意して友人を招き、縁側で風流に鑑賞したり、「今日の月はきれいだよ」と電話して我々に知らせてくれた事もあった。季節の美味しいものがあれば、でかけて食べに行く。興味のある本のCD朗読付きの全集が出れば、買って家事をしながら聞いて学ぶ。洗い物をしながら映画音楽を口ずさむ。いろんな美術館展、博物館展も自分が運転してつれていってくれた(スピード違反でつかまった事も)。

兄、姉と年が離れている私は、彼らが東京の大学に行ってしまったあと、スキーに連れていってもらえなくなった。その後は母が私一人を車に乗せて連れていってくれた。海水浴にもよく行った。枝豆が美味しかった。ほんとに車が好きで、亡くなる直前の1/15の誕生日に免許が切れるのを最後まで気にしていた。免許証の写真が気に入らなかったらしく、その写真の上に自分のお気に入りの写真をのせてケースに入れてあった(そういうチャメッケがある人だった)。とてもいい写真だったので、葬儀の祭壇に飾る写真に引き延ばして使った。父も喜んでくれた。あと、このケースには子供3名(兄、姉、私)のそれぞれの小学校入学時に写真館で写した写真が1枚づつ入れてあった。それを見た時は涙が止まらなかった。いつも、子供を信じてくれる優しい母だった。子供は何があっても親に信じられていると、深い愛を感じられるような気がする。

そんな母の笑顔をもう目にする事はできなくなってしまったが、教えてもらった人生の楽しみ方は私の大きな財産になるだろう。そんな母に感謝して、これからの人生を楽しんでいければと思う。合掌。

ある本で面白い話があったので、そのまま引用させて頂く。・・・南太平洋の楽園といわれる島にレジャーで訪れたあるドイツ人実業家がいた。ふと見ると砂浜に横たわって、海を眺めている現地人がいる。ドイツ的勤勉さから、彼はその男に声をかけた。「君、遊んでないで一生懸命働きなさい」その男は答える「何のために働くのですか?」実業家は言う。「せっせと働いてお金を儲け、家族を養い、この私のようにレジャーに出かけ、人生を楽しむのだ」男は「どうやって楽しむのですか?」と聞く。実業家は得意そうに答える。「この楽園のような島に旅し、泳いだり、食べたりして楽しく過ごすのだ」すると、不思議そうに男はつぶやいた。「それでは今の私の生活のようなものですね」この話は文明国の市民に痛烈な皮肉を与えるとともに、熱帯の楽園が工業化社会の鏡である事を暗示している。・・・以上、引用。(思わず、ウーン!とうなってしまうが、よく考えるとここには、人生で自分の生き方が人の役に立っているか、と言う様な視点が抜けている気がしますが、どうでしょうか?)

サマセット・モームやヘミングウェイはこういう事に気がついて彷徨い、旅を続けていてのかもしれない。我々凡人は、なかなか日常のしがらみを断ち切る事ができずに働き続け、ささやかな休暇を楽しむ。そんな一生を過ごすのだろうか。いや、いつかは、いや、近い将来にセミ・リタイアするべく夢を捨てずに進んでみたい。

NHK-BSでヨーロッパ・トレッキングシリーズが放映された。オーストリア、フランス、ドイツ、スイスそれぞれに良さがあった。やはり自分にはこういう「自然と対峙」できる旅があっている事を再確認できたように思う。旅のスタイルには色々あり、個人の好みで味わえば良い訳だし、我々もいわゆるリゾートを楽しむ旅をする事もある。しかし、「自然と対峙」と比較すると「欲の旅」と言えそうだ。買い物では物欲、ホテルライフでは自分が王様になった気分のサービスを要求する様な権力欲、食欲などなど。歴史も美術も好きだが、権力を酷使した建造物を見ると、そこで流された汗や血を感じてしまい、すなおに感動できない時もある。山は厳父を感じさせ、カヌーでの川は母の羊水に浮かぶ胎児に戻る。自然と対峙するときには、精神も肉体も中から浄化され、地球の、宇宙のとてつもなく長い時間の流れの一地点に自分がいる事を実感し、色んな事に感謝する気持ちがわき上がってくる。そして、リフレッシュできる。そんな旅を続けてみたい。

なんだかおかしくないか。ちょっと過敏症ではないか。清潔好き、潔癖性が行き過ぎて、なんでも抗菌グッズ。そして今の色々な食べ物に対する異物混入への抗議の数々。なかには、製造過程であってはならないミスや、ずさんな管理体制によるものもあるが、多少の虫などはふせげない、あるいはふせごうとすれば莫大なコストがかかる事も考えなければならないのではないか。野菜に虫が入っているのは、ある意味では当たり前なのになぁ。メーカーも売れ行きに影響が出る前に手を打とうとしてビビリ過ぎでかわいそうな位。全部回収する必要のないものは毅然たる態度を示しても良いと思うのだが・・・。

牛乳は低温殺菌のものを以前から買っている。だって、その方が自然だし、第一美味しいからだ。欧米ではたいてい低温殺菌なのではないかな。日本では安くないと売れないので探すのが大変だ。安ければいいという消費者の姿勢が、企業に薄利多売、経費節減、管理コストの低下などなど品質の低下へと導いている場合も多いのではないか・・・。

世界各国の生活の質に順位をつけたものが先日でていた。日本、カナダなどが1位。私の好きなスイスは13位。ちょっと納得しかねる。GNPだけでなく、教育の質や普及度などなど色々な事が加味されているかららしい。スイスでは大学教育を受ける人は少数だから低くなるのだろう。しかし、生活そのものを比べた場合、あくせく働いて、なかなか家も持てず、旅行には周囲の目をきにしながら、短期間で海外へ。休日を楽しむ場所も限られ、行けば行ったで大混雑。心休まる時間を過ごせているとは思えない。かたや、スイスをはじめオーストラリア、ニュージーランド私の好きな国々の人達は、他の西欧諸国もそうだが、長いバカンスが年に数回あり、スキー休暇のある国もある。休日は家族で楽しめる素敵な公園もあちこちにある。そこでは喧噪はなく、ゆったりとした時間が流れる。もし、バカンス法案ができたとしても、日本なら同じ時期にみながとるしかないなら、結局大渋滞は緩和されないだろう。こんな国のどちらの生活の質が高いのだろうか。ただ、となりの芝生は青く見えるだけなのだろうか。早めのセミ・リタイアをして実感してみたいものだ。
ゴールデンウィークのスイス旅行で最後の夜、チューリッヒのバーで70歳のおじさんとカウンターで1時間ばかし話をした(というより聞かされた)。スイス建国の歴史に始まり、スイス人の精神や誇りなどなど。英語でむこうも正確ではなくて、お互いに半分も通じていたかどうか。でも、しきりに「スイス人は何でも自分達で決める。自分達で力で勝ち取ってきたんだ、このやり方を」という事を力説していた。日本の事も結構知っていた。スイスはランツゲマインデと言う青空会議の様なものが今でも存在し、色々な議案を街毎にそれぞれの住民がその場で決める。それが先日、EUの通商関係の協定に参加する事が賛成多数で可決されたのには驚いた。政府はスイスは変わらないと言っているようだが、スイスらしさが失われないか心配だ。さきのおじさんはどちらに投票したのだろうか。
お花見に行きました。4/8は京都の祇園白川。ここは柳がたれ、しだれ桜がはんなりと咲き、川沿いに置屋が並ぶ雰囲気のある所でした。夜はライトアップがさらに雰囲気を変えるようです。銀閣寺から哲学の道を経て南禅寺までは、思ったよりも桜がさいていて、なかなかよい散歩となりました。さらに高台寺まで歩き、ライトアップを待ちました。毎年違った趣向なのかどうかわかりませんが、光ファイバーがはいまわり、訳のわからないお人形や、ボールを並べて光りをあて、桜へのライトはついたり消えたりと、凝った演出にはげんなりしました。ここまで、誰がやれと言ったのか。たいまつの明かりで幻想的に照らしてほしかった。今日13日は、兵庫県和田山の近くの竹田。立雲峡に行きました。但馬の吉野と言われるだけあって満開なら、すごい景観でしょう。見頃は22、23日あたりでしょうか。今年は行けませんがよいところでした。日本は季節ごとに咲く花を楽しめて、「よい国だなぁ」と思うのは年のせいでしょうかね。
今日見ていた雑誌に21世紀は「No.1」から「Only one」の時代とありました。うまい事言うなーと感心した次第です。とにかく20世紀は何でも競争原理一辺倒で、まずはNo.1をめざす事をしいられていたようです。数ある中でNo.1を目指す事は意味のない事ではないでしょうが、これからは勝った負けたよりも、オリジナリティー、つまりOnly oneであるかどうかが選択時の判断材料になると予想されると言う訳です。まねから始めて、No.1になってきた日本人にはなかなか厳しい行く先かもしれませんが、発想を柔軟にして考えていきたい課題だと感じ入りました。
朝の読書タイムを続けて1年半になります。まず、前日遅くなっても、よほどの事がない限り6時半に起きる。理由をつけて休みたくなるので、例外をつくらないようにまず起きる。慣れれば平気です。新聞を取りに出て外の空気を吸って軽く体操。冬は暗いし、今はすっかり明るくなり小鳥のさえずりもにぎやかになって春が近い事を感じさせてくれる。いつも、同じ電線にとまっている鳥もいる。そして、50分位本を読む。夜だと面白くなれば際限なく読んでしまうので、朝がよい。
子供は育てた様にしか育たない、という様な題の本が出ていますが、本当にそうだろうと感じる事が多い今日この頃。人のうわさ話の中で育てば、うわさ話ばかりしているつまらない人間になる。人をせめてばかりいる家庭では、人をせめる子供になる。ほめて育てれば、人をほめる事ができるようになる。外出をおっくうがる親のもとでは、旅好きの人間にならない、等々思い当たるふしはおおいにある。学級崩壊もすべて家庭の環境からくるのだろう。先生も大変だなぁ。
先日、NHKで衛星放送の再放送をやってました。地球温暖化の影響によりスイスなどで洪水が起きているとの事でした。我々も以前その直後に現地を見た事があり、すごい迫力でした。今はなんでも環境破壊が問題になっています。もちろん、破壊しないに越したことはないとは思います。しかし、地球の長い歴史の中では、文明が生まれ成長し、惑星が衝突するなどしたために、環境が悪化して氷河期が訪れ、文明も生命も失われる。そのようなサイクルは誰にも止められないのではないか、地球の寿命もあるのではないか。という風にも考える今日この頃です。未来の子供達に美しい地球を残すという使命はあるかもしれませんが、数百年単位の時間の流れなどは、万年単位の時間の流れの中ではささいな抵抗でしかないような気もします。だから、いい加減でよいという事ではないのですが・・・。
骨髄バンクの情報が少し入りました。骨髄移植はご存じのように、白血病などの血液疾患に大変有効な方法で、骨髄バンク事業は厚生省の認可を受けてから昨年で8年を迎えました。ドナー登録者は現在126,014名、移植例数は2,384例に達しますが、いまだに移植希望者の3分の1程度の希望しか満たしていない状況だそうです。目標は300,000名の登録ですが、財団も赤字をかかえPRもままならないらしいです。移植を待ち望んでいる患者さんの為に、この場が少しでも役に立てばと思います。また、なにかあればここでお知らせします。
バレンタインデイは如何でしたか。うちでは、妻ともスタッフ達とも、こういった義理的な習慣はとりやめています。私の家族がプレゼントを送ったり、誕生日を祝ったり、正月に家族が集まったり、還暦とか喜寿とかを祝うという様な儀式を一切しない家族なので、とりたててそういう事をしなくても、気持ちがつながっている方が大切かなと、思って育ったからでしょうか。また、さらに「お返し」なる儀式がついてまわるというのも、おかしな感じがします。言葉にださないとわからないとか、感謝の気持ちをプレゼントで、というのもわからなくはないですが、もらってもうれしくない、気持ちが伝わらない場合もあるのではないかと思います。消費が低迷している中で、こんな考えは世の中にとって迷惑なのかもしれませんね。ただ、本当にあげたい、祝ってあげたい、という気持ちを押さえる必要はないと思いますが・・・。

先日、NHKBS11で「ジャパネスクな男達」で、東儀秀樹、市川染五郎、和泉元弥の3名でのジョイント番組 を見ました。昨年から3回目の試みだそうです。彼らの幼い頃からの人脈に培われたであろう誠実さや知性が感じられて、なかなか興味深く拝見しました。昨年の1回目しか見ていませんが、今回は少し軽いノリではありましたが、芸能界2世にありがちな軽薄な若者ではないようです。前回見てから東儀秀樹ファンになり、彼のCDは全部買ってしまうと言う単純なtoroppeでした。

某奉仕団体に属している為、年間に数回は献血してきましたが、昨年は「骨髄バンク」ドナー登録もしました。現状では、一般の人への情報提供が少ないため、具体的な手続きや、自分自身が割かなければならない時間、あるいは自分が背負うリスクなど、あまりにも知られていない状況だと感じました。でも、骨髄移植を待つ人達には、時間がないのです。タイプさえ合えば、ほとんどが成功するにもかかわらず。これからはPRにも努めたいと思いました。

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